
零章「秘密じゃない私の秘密」
私には秘密が、一つある。隠そうとしていたわけではないが、自然に隠されてきたし、明かさなければ、誰も知らない。 そして特に、明かすつもりもない。私が覚えていない幼い頃、私は大きな火傷を負った。両親が商売をしていて、母方の祖母が、私の世話をしてくれた。当時はよくあることだった。祖母は、私に与えるミルクを、温めるために、炉のところに行った。
それを見ていた私は、おばあちゃんのいる方へ、ひたすら這いずり寄った。おばあちゃんは、火で温めた牛乳を冷やすために、シンクの方へ行き、私は、そのまま炉の方へ行って、頭を突っ込んだのである。そこに何があるのか、気になって、バランスを崩したのか、私は知らない。当時、私たちの台所は練炭を使っていて、炉は低い位置にあった。
事故が起きた台所からは、蛋白質の焦げ臭さが漂い、私は大声で泣いたはずだ。家の前の店で絹を売っていた母が、追いかけて家に入ってきた。驚いて足も動かず、凍りついたおばあちゃんと、火の中に閉じこもっている私を、発見した。

母は私を抱きかかえ、裸足で近くの病院へ行った。その時、父は絹を買いに、他の地域に出張しており、家にいなかった。私を抱っこして走っていた母が、通り過ぎるとき、タンパク質の、焦げ臭い匂いがしたと、近所の人が言ったそうだ。
最初に行った病院は、母の友人の夫が、やっているところだった。私の頭に巻かれた、ずさんな包帯が気になった両親は、私を別の病院に移した。その病院では、私の頭の包帯をしっかり包んでくれた。しかし、それが問題だった。 空気が通らなくなり、私の頭は痛み始めた。最初は小さかった私の火傷の部位が、化膿し始め、他の部位に移り、結局その部分を、全部切除しなければならなかったのだ。そのため、火傷部位はさらに増え、髪の毛が生える細胞まで、切り落とさなければならなかった。今思えば、とんでもない医療ミスである。
私は数ヶ月間病院にいたが、実は今は、そのことを、全く覚えていない。当時の我が家の台所が、ぼんやりと思い出されることがあるのだが、その頃、そんなに痛くて辛かったような、傷の記憶がない。思い出せなくてよかったと言う人もいたが、私は当時、部分的な記憶喪失が起きたのではないかと思う。
もちろんこれは、私の個人的な考えだが。痛かった記憶がないからか、私はPTSDもなく、火を怖がることもない。その後もよく火のそばに行き、よく火傷をして、帰ってくることがあった。その事故で私の頭には、大きな火傷が残ることになった。しかし、神の助けにより、私は髪質も太く、髪の毛も多いため、私の傷は十分にカバーされた。
子供の頃は髪が細かったので、母はいつも、b風に飛ばされないように、髪をしっかりと束ねてくれた。子供の頃の私はいつも長髪で、いつも編んだ髪の、耳の横には、固定のピンを刺していたいつも同じ髪型だったので、女の子である私は、それが少し不満だった。これが私の傷の秘密である。美容院に行けば、全てがバレる、秘密ではない、秘密の話である。
しかしその後、私はよく、驚く人になった。驚くことは特別なことではないが、私の場合は、その程度がひどい。パニック症候群が私にはあり、人の顔を、よく覚えられない障害が、生じるようになった。だから私は、車の運転も、できない。もちろん、社会生活ができないほどではないが、ストレスを受けると、これらの障害が、はっきりと現れる。
祖母は亡くなるまで、私の頭の傷を、自分の不注意のせいだと、自責していた。しかし、それは祖母の責任というより、私の運命だったのではないかと思う。余談だが、私が小学校に通っていた頃、家計が傾いていたので、母が占い師のところに、行ったそうだ。もどかしくて、行ったのだろう。母が家族について尋ねたところ、私に対する占いでは、いつも大きな傷が、出るそうだ。そしてその傷がなければ、私は早く死ぬ運命だという。
これは他の占い師も、私の体にある傷について話すので、私の運命に、違いないと思う。そして、私が両親と離れて、遠く外国に住む、運命にあるとも、言われたそうだ。私は幼い頃にこの言葉を聞いて、私の記憶の中に、その言葉が残っていたのだろうか。今、韓国以外の場所で、両親と離れて暮らしている。図らずも、占い師の言うような運命になった。
ここまでが、私の秘密ではない、秘密の話だ。
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