
個人的に仕方がないという言葉が好きではない。 もちろん、私がそれに関する、
特別な代案を出せるわけでもなく、そのようなことに対抗して戦うわけでもないが、
単純にどうしようもないという一言で、すべてを整理するには、納得できない、
何かが、あるためだろう。
最近、私はパンを作りながら、米価が上がったことに対する
私だけの抵抗をしている。 もちろん、努力と時間がかかるのではないかと、言うだろうが、
私が納得するまでは引き続きパンを作り、パスタを食べるつもりだ。 だからといって、
全く米を食べないというわけではない。 ただ他の人たちは知らない、私だけの抵抗を、
一人でしているのだ。 最初は大変だったパン作りが、慣れて来ているのを見ながら、
それなりに、楽しさを感じたりもする。昔、カフェレストランをしながら、
自家製でケーキを作った。 最初はおいしいと思ったケーキを注文して、お客さんに提供した。
注文したケーキだけに、利益は少なかったが、お客さんの反応は良かった。
そんなある日、もうそのケーキを、注文できなくなった。 ケーキが好きだったお客さんに、
失望を与えることはできないと思って、レシピを探しながら、似たようなケーキを作り始めた。
意外にお客さんの反応が良くて、私はケーキの種類を増やしていった。
そして婦人会の集まりやパーティーの為の、ケーキの注文を受けたりもするようになった。
ホテルのシェフをしていたある方は、「PB商品として、販売するのはどうだろう。」という、
有難いアドバイスを、頂いたりもした。そして何より私が作ったケーキだから、
注文して買ったケーキより、利益面で、はるかに良かった。こういうのを見ると、
結局ある原因が、また別の結果をもたらす、という気がする。
最近の世界情勢を見ると、「10年以内に国が、こんなに滅びることもあるんだ」
と思うほど、の事実が明らかになり、事件が起きている。 私はただ熱心に、
生きれば良い、と思っていたのが、結局はそれは、無関心か傍観になってしまった。
そして、仕方がないという言葉ですべてを見過ごした結果、今の世の中の姿になった。
今、韓国はCという国に、滅ぼされてしまうんじゃないか、と言う心配で、
国民が声を上げ始めた。1990年代半ば、私がニュージーランドで、
最も驚いたことがあるとすれば、オークランドのダウンタウンで、最も目立つ高い建物が、
香港銀行のビルだったという点だった。
当時華僑の生徒と韓国人留学生の経済的な差は大きく、日本人留学生は、
円高で得をしていた。 国が豊かなので、旅行する彼らが羨ましかった。
当時、多くの日本人留学生は、華僑に関心がなかったが、中国が、
そのように成長するとは、想像できなかっただろう。
生まれながらにして自由を持っている人々は、その価値を知らない。
しかし、当然だと思っていたものが、なくなったり奪われたら、
それを取り戻すために、そして維持するためには努力と意志が、
必要だということを、悟ることになる。
そんなことを考えながら、私は最近パンを焼いている。