
子供たちは、自分の親を愛することで人生を始め、育つにつれて、ますます親を判断するようになる。 「そして、時には親を許さなければならないこともある」という文を、オスカー·ワイルドの有名な小説「ドリアン·グレアの肖像」で読んだことがある。この文は私にとって宿命のように、そして運命のように感じられる一節だった。
誰もが経験する親との不和、そしてその中で生じる葛藤と無念さと傷と後悔。とにかく複雑な感情と言う感情は、全て作り出して、また抜け出すこともできず、だからといって無視できない共同運命体であるのだ。
練習をせずに、ステージの上に上がってきた親の役割を与えられた人々と、選択権なしにその親の子供の役割で生まれた子供たちが、共同生活をすることになる。前世に何かの縁があって会ったに違いないが、良いことだけがあった縁ではなかっただろう。
ただ、私たちはそのような関係や環境の中で、不平を言いながらぶつかりながら、互いに心配をしてあげながら、信頼ができて情が生まれて、あまりにも不条理の度合いが過度でなければ、許しもしてあげながら生きることが、求められているようでもある。
今世は、この人たちと家族になり、来世はまた他の人たちと家族になるかもしれない。私たちが生きているのはいっても、せいぜい100歳くらいだから、長い歴史や宇宙から見れば、豆粒ひとつ、にもならない人生なのだ。それにしては、豆粒のような人生なのに、なぜそんなに大きく感じられ、なぜ「そんなことが・・。」と思われるような、問題が多いのか分からない。
たまに両親と会話をすると、今でさえ、憂鬱になる時がある。確かに、両親が望むような人生を、私は生きてこなかったかもしれない。そのため、理解を望みながらも、無理だろうと一人で判断し、説明すらしてこなかった。
思えば、それは私の傲慢さだったのではないか。私がもう少し落ち着いて、説明できる人だったら、良かったのにという残念な気持ちがする。価値観が違うのは、仕方ないことだと頭で思いながら、胸がそれを理解しないので悲しく、対話の敷居が高くなり寂しくなる。
ところがある瞬間、自然の摂理で老衰し、何かをますます忘れている両親の姿から、また別の悔しさと悲しみを感じるようになる。不条理な関係だ。 ずるい関係だ。 懐かしい関係だ。 そして感謝すべき関係だ。
一生懸命生きてきた親の世代がいて、それなりに熱心に応援してくれた人たちがいたので、今の私という一人の人間がここにいる。そして、それに対しては年を取るにつれて以前より、さらに多くの感謝の気持ちにさせる。
ミスだらけの人間が、孤軍奮闘する姿の中に両親もいて、私自身もある。今気づいたことをその時も知っていたら、もう少し寛大な人に、なったのではないかと何気なく考えてみる。