
久しぶりに、ジョセフ·マーフィーの本を読みたい、という気持ちになり、本棚から本を取り出した。
スピリチュアル本というような物が、全世界的にかなり流行した時期があり、時間が経つにつれて、
詐欺だったのでは?と、話す人もいる。スピリチュアルが詐欺ではなく、それを伝えようとした
人々が、詐欺のように、行動したことが問題だっただろう。人々は多くのことを早く変化させ、
成功させたいという、焦燥感に駆られたりする。 それは、ごく当然のことかもしれない。
切迫感と切実さがあるのだ。ジョセフ·マーフィーは、潜在意識が私たちに隠された能力であり、
確信と信念がある時、その能力は発揮されると話す。 最近はそのようなフレーズが、人が、
あきらめないように、助け応援かするのが、目的かも知れないという気がする。
絶望する気持ちができて、憂鬱になりながらも、私に隠された潜在意識の能力があれば、
再び、始めることができるという、勇気を込めた、メッセージのように感じられる。
私が今しようと、していることに対して、誰かの応援を熱心に受けたい気持ちが、
切実で、マーフィーの本を、再び読もうとしたのかもしれない。
一時期、私は長い間マーフィーを読んできたが、仕事がうまくいかず、人生が苦しくなり、
私も、マーフィーを避けるようになった。
ゲーテは、潜在意識を最もよく活用した人の、一人として知られている。 しかし、私は、
ゲーテのように特別な人でもないとし、結局は、私自らが、何かをあきらめた瞬間から、
マーフィーを読む余裕などないと、私自身を説得していたのだろう。
マーフィーは、当たり前のことを言っているのだが,私が信じていないだけだ。
なぜなら私が自分自身を信じないからだ。
嫉妬に満ちた心臓は、嫉妬に満ちた心臓が得られるだけの休息を得る。
見えるものだけを信じる信頼では、見えない能力を信じる信頼が作り出す奇跡を、
経験できないのは当然かもしれない。それだけ自身が受け入れられる、心臓の器で、
すべては、行われるという話だ。
マーフィーはあまりにも、完全な信念と信頼を求めているので,実際は個人的には、
手に余るものがあった。ところが今は、どこかに私の信頼をオールインしたい、
という気持ちがあり、それは、切なる思いなのである。