幸せが、霞んでいく時代。だから、その欠片を探す旅に、出る事にした。
“残酷な妹”からの、レクイエム
“残酷な妹”からの、レクイエム

“残酷な妹”からの、レクイエム

20代前半に訪れた急性糖尿病と、20年以上透析で生きてきた兄は、
生きたくてした、心臓弁膜症の手術後、容態が急変し、60歳にも、
満たない齢で、目を開けられないまま、天国に行った。
手術前に体調がどうか、電話で尋ねた時、「とても良いと答えた。」
兄の声が、私が聞いた最後の声だった。

手術室に入る時、母の手をぎゅっと握って、母の顔を長い間眺めた兄は、
「私の顔を、よく覚えておいて。」と笑いながら、冗談を言ったそうだが、
それが、最後の姿だった。

天気が良くなければ、兄は体が痛くて、部屋から出ることもできなかった。
痛いとは言わなかったが、表情は、いつもあまりにも苦しかった。

私は兄に寛大ではない妹だった。元気だった学生時代には、運動も、
上手でリーダーシップも人気もあって、豊かな暮らしではない我が家には、
兄の友達で、いつも賑わっていたことを覚えている。
しかし、病気になって以後は、何かをしようと事業に挑戦したが、
いつもうまくいかず、借金として戻ってきた。

私は家計を、苦しめる兄が嫌いだった。私も多くのミスと失言で、
生きていながら、兄のミスは、許さないようにした。
家計を苦しめるという理由で、私は兄と、多くの話もしなかった。

兄は死の峠を、何度も越えながら苦労して、暮らした。

私も年になって、関節が痛くて全身の節々が病み、腕が痛くて、
持ち上げることも、できないような状況を迎えて、ホンの少し
兄の苦痛を、今更だが、ようやく理解するようになった。

今はただ肉体という痛い抜け殻を脱ぎ捨てた兄の魂が自由に、
遠くに飛んでいくことを、願う気持ちだ。

そして痛い体で一生懸命生きてくれた兄に、「本当に頑張ったね。」
という言葉を、伝えたい。 生きている時にこの言葉を言っていたら、
兄は大喜びしたのではないかと後悔しながら、この頃、ふと考える事だ

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