最近、ニュージーランドで、永住権を受けようと努力する人の映像を見て、もう一度英語の勉強に対する情熱が少し湧いてくるようになった。 到底できなかった動機付けが、少しずつ訪れる感じだ。
しかし、最近の私の不安な更年期状態なら、このような情熱がいつまで続くかは分からない。もちろん私が、ニュージーランドに移民を考えているわけではないが、「ニュージーランドの空が今日も 一生懸命働いています」という映像の中のコメントが、私の感覚を悟らせたのかもしれない。
ずいぶん前のことだが、私も特別にニュージーランドの空が好きだったからだ。 そして、北海道の果てしない青空も好きだ。 北海道の雪降る冬は、私がここに存在する理由かもしれない。
夏が過ぎて秋になると、私はAlex WildというユーチューブをBGMのように流して生活している。 偶然のアルゴリズムで、見るようになった映像だが、地中に小さなログキャビンを作って、自分をリトリートする映像だ。 そんな家を、ダグ·アウトと言うことも知った。
夏が過ぎて秋になると、私はAlex WildというユーチューブをBGMのように流して生活している。 偶然のアルゴリズムで、見るようになった映像だが、地中に小さなログキャビンを作って、自分をリトリートする映像だ。 そんな家を、ダグ·アウトと言うことも知った。
実際、私は絶対にアウトドアー派ではなく、キャンプもあまり好きではない人だ。
昨年の冬に、初めて見た、そのチャンネルの映像は、気温マイナス20度で、周囲の白い雪の中に埋まっている小さなダグアウトの中に、作っておいた薪ストーブに使う薪を集めて、それを斧で割っている姿だった。画面に伝わってくる寒気が、暖かい部屋の中にいる私と、妙なコントラストを感じさせた。
昨年の冬に、初めて見た、そのチャンネルの映像は、気温マイナス20度で、周囲の白い雪の中に埋まっている小さなダグアウトの中に、作っておいた薪ストーブに使う薪を集めて、それを斧で割っている姿だった。画面に伝わってくる寒気が、暖かい部屋の中にいる私と、妙なコントラストを感じさせた。
薪でストーブに火をつけ、石油ランプに火を灯し、少し休憩を取り、お茶を飲む。 いつもダグアウトの中を修理したり、もっと便利に使うように棚を作ったり、木と木の間の隙間に入ってくる寒気を防ぐために、目張りをする。 目張りは、そんな気温なら必須アイテムだろう。
昼の仕事が終わったら、キャンプファイヤーをダグアウトの周りにつけて、簡単な夕食を準備する。 食事の準備は薪ストーブの上でする場合もあるが、バーベキューのようなものは、キャンプファイヤーの火を使うこともある。 文章で書けば数行にもならないストーリーだが、私はAlex Wildを時間がある度に、テレビにつけておいて夕食の準備をしたりする。
ダグ·アウトを手作りした映像もあり、雪の中で倒れた大木をチェーンソーで切って、天板を作るブーンという音も聞こえ、ドンドンという、釘を打つ音も聞こえる。
私はなぜこのような音を聞きながら、この映像を無限リピートで見ているのだろうかと思った。たぶんそれは、私が好きで見慣れた、北海道の冬の音だったからではないかと思った。
人々はそれぞれ、感覚の記憶を持っている。 私にとって冬は雪が降り、温度がマイナスに下がり、私の顔を痛くするほどの冷気と、薪が燃える音が、冬のイメージとして強く残っている。
もしかしたら、Alex Wildという映像を見ながら、自分自身が癒されているのかもしれない。 そして私は個人的に薪ストーブのファンだ。 薪が燃えていく音も好きで、炎をぼんやりとただ眺めるのも、石油ストーブとは違う、柔らかくて暖かい温もりも好きだ。
もうこちらも秋に向かって、冬に入ろうとする時期になるだろう。
もうこちらも秋に向かって、冬に入ろうとする時期になるだろう。
歌の中で「春、夏、秋は冬を待つ季節」という歌詞があったが、私にとって冬はそんな季節かもしれない。 Rene現代の寓話webに、戻る