
私はカフェというジャンルを、とても愛している。 変に聞こえるかもしれないが、若かった時には、中年になった、今より、カフェがもっと切実だったのではないかと思う。カフェに行けば、分からないドキドキ感があり、何かを発見できるような気さえした。 カフェの中で、そのような新しい楽しみを、見つけるのが好きだった。 文化を感じることができるカフェもあったし、私が知らない世界の音楽を、聞かせるカフェもあって新鮮な刺激を得る場合もあった。
気分が憂鬱な時、私を慰めてくれるところも、カフェだった。 カフェの中にいる多くの人々を見ながら、人が暮らす雰囲気があり、寂しさも、ある程度緩和され、そしてカフェオーナーとの、平凡な雑談の中でも慰められた。私が持っている悩みに対する、解決策を発見できなくても、そのような、空間の中にあることさえ慰めになる、そのようなところが私にとってのカフェの意味だった。
今は大きな会社の、フランチャイズスタイルで、飲み物とデザートを、提供する、スタイリッシュなデザインのカフェが、多く運営されている。「挽たて、煎りたての新鮮なコーヒー」という宣伝文句が、カフェの壁や,スタンドの、看板で広告をしている。 小さな椅子と、テーブルが置かれている、狭い席で、ちょっと混みいった事や、秘匿性のある話はしてはならない、ということを、密かに、暗示している感じがする、カフェだ。
もちろん、ライフスタイルが変わった今、昔のスタイルを話せば、きっと、そんなのはオールドだ、時代錯誤だという話を聞くだろう。 秘密の話は、DMを通じてすれば良いことであり、気まずい話は顔を見ずに、携帯電話や、SNSでするのが、お互いにより良いこともありうる。それで今のカフェスタイルが、現況は自然だと思うかもしれない。
楽しく会話しながら少しは声を出して笑える、カフェの機能が、もう少なくなったのかもしれない。 声を出して笑う人々は迷惑を、かける人々になった。 なぜなら、そのような狭く、て近い距離で、聞こえる笑い声は、本当に迷惑になりかねないからだ。
都心よりは、郊外に行けばもっと、広いカフェがあると言う人もいるだろう。しかし、カフェは日常の中にあるべきものだと、個人的に考えている。実は今、私の独断的な(笑)カフェのスタイルに関して、私の味方に、なってくれる人が、多くないということも、悲しいことだが知っている。
ライフスタルが変わり、カフェの機能も変わり、地価も高く、人口は減ったという様々な要因が溢れている。それで最近、私が、嘗て知っていた、そのカフェ達が思い出されるのかもしれない。ハンドドリップでコーヒーの香りでいっぱいで、食事も楽しみながら、友達と談笑もできたオールドだが、暖かいそんなカフェが、私は今、たくさん思い出される。
近くに隣の席に人がいて、話したいことも話せないような空間ではなく、距離を置いて、テーブルが置かれている広いカフェが良い。スタイリッシュでなくても良いが、暖かい、雰囲気があって、良い音楽を聞かせてくれる少しの間でも、疲れを癒してくれる、そのようなカフェが、私は、好きなのだ。
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by Reneon 投稿日:
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